高松駅前で街頭演説。「原油高・物価高騰への経済対策と子育て支援へ妊婦健診無料化について」訴える。特に昨日、舛添大臣が2009年4月から出産までに必要な14回の無料化を発表した事について公明党が一貫して取組んだ内容である事を強調する。
本日は丸亀市にて「カラス型飛行器サミットin丸亀」が開催され、出席する。
「ライト兄弟よりも12年も早く、日本で初めてゴム動力のカラス型飛行器を丸亀で飛ばした二宮忠八翁の軌跡と丸亀の風情を創作すると共に大空に夢と希望を描く」企画である。
二宮忠八は故郷が同じ八幡浜市である。「空をとぶ人類の夢に情熱を傾けたパイオニアの人」「飛行機の父」として有名な二宮忠八翁。
最初に主催者側のNPO法人ELF丸亀の斉藤理事長が挨拶。
次に「二宮忠八翁の軌跡」と題して菊地啓泰氏(八幡浜市文化財保護委員)が基調講演。約90分。映像とOHPを活用して二宮忠八の生涯を話される。大変臨場感があり、二宮忠八がいかに困難の中、夢の実現のために取組んだのか、よく理解できた。(下記年譜)
二宮忠八は1868年八幡浜市矢野町で生まれ、その後丸亀第12連隊の看護卒として入営。1889年演習の帰途、仲多度郡十郷村の樅の木峠(現まんのう町)でカラスのとぶ姿に飛行のヒントを得て、1891年(明治24年)4月29日丸亀練兵場で「カラス型模型飛行器」(ゴムを動力として、プロペラは4枚羽根)の飛行実験の成功。(約10メートル飛行)日本で初めてのことであった。
その後、軍に3度飛行機必要の上申をしたが、却下。自力で完成させようと実業界に転進。成功し資金もでき、石油発動機を動力に飛行機の枠組みまで完成した頃、1903年(明治36年)ライト兄弟の世界初の有人動力飛行成功のニュースを聞き、自分のつくった機体をハンマーで打ち壊し、男泣き。以来飛行機の夢を語ろうとしなくなった。
晩年京都府八幡市に航空犠牲者の霊を弔う飛行神社を創設、1936年(昭和11年)71歳で豊かな生涯を閉じる。
基調講演の後、八幡浜市の出身という事で挨拶。「故郷の偉人。大きな夢にむかい、困難があっても挑戦する勇気など大事な原点を示した忠八翁の生き方に学び、今に活かしていきたい。」などのお話しをする。
またまんのう町の栗田町長・丸亀市の公明党内田議員からも挨拶がある。
体育館では愛媛大学航空力学研究会(通称二宮翔会)のメンバーが「平成カラス」6号を展示。部員15名で日々協力しながら活動を続けているそうである。からす型模型飛行器を拡大した飛行機。大変軽く設計されており人が乗るペダルもこがせていただく。明日、皆さんの前で飛ばすそうである。共に記念の写真を撮る。
その後、シンポジウムとして各パネリストの方々から「カラス型飛行器の飛行実証」として二宮忠八翁の偉大さについて夫々の立場から話しが続いた。
明日は「第5回まるがめ婆娑羅全国模型飛行機大会」が開催される予定。
夕方より新居浜市に移動。化学物質過敏症に悩む方宅を真鍋市議と訪問。様々な症状と共に、医療や生活面の不便を訴えられた。香水やタバコの煙、洗剤、防臭、灯油などの燃料などや野焼きの火もアレルギー症状など起こしてしまい呼吸困難をおこすめ、酸素ボンベを携帯しないといけない。トイレも臭いなどで利用出来ないトイレがほとんど。
大変な状況をお聞きし、医療面の体制など化学物質過敏症の対策を要望される。