原爆被爆から64年。早朝5時過ぎに広島平和記念公園内を通り、慰霊碑・平和の灯へ。ひっきりなしに参列者が続く。マスコミも多数駆けつけ、広島の朝を放映している。
平和への祈りをささげた後、朝6時15分から開始された「広島戦災供養慰霊式」に参列する。
朝8時からは広島市の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が厳かに挙行された。式典には5万人が参列。最初に原爆慰霊碑に原爆死没者名簿が収められた。本年5636人の死亡により名簿は2冊増え、計95冊。犠牲者は26万3945人となった。
原爆投下の8時15分。全員起立し、黙祷。市長の平和宣言。こども代表の「平和への誓い」。そして麻生総理の決意と続く。公明党からは浜四津代表代行・斉藤環境大臣などが参列した。
その後、9時「広島県動員学徒原爆追悼式」10時「広島県原爆被害者団体協議会(被団協)主催の追悼慰霊式典」に相次いで参加。追悼の祈りをささげる。
本日嬉しい事に麻生総理と日本被団協との間で原爆症認定集団訴訟の締結の確認書が交わされた。
原告306人。(認定されていない人は110人)国は19連敗で6年越しの集団裁判が行われていた。
確認書の内容は
①一審判決を尊重し、一審勝訴原告(47人)には控訴せず、判決を確定。
②係争中の原告(48人)は一審判決を待つ。
③議員立法で基金をもうけ、原告の問題解決に活用する。(敗訴原告15人)
④厚生労働相と被団協・原告弁護団は定期協議の場をもうける。
⑤原告団は集団訴訟を終結させる。
平均年齢75.9歳の全国の被爆者23万5569人(3月末)にとってもこの国の決断は朗報となった。この陰には被爆者・原告団の皆様の並々ならぬご苦労と活動があった事であるが、公明党が一貫して与党内での取組み・また政府への働きかけなど地道な活動を行ってきた。私も厚労委員会でも何度も原爆被爆者救済へ質問をしてきた。本日、広島原爆の日に原告団の全員救済が決まった事は何より嬉しいことであった。
https://www.yamamoto-hiroshi.net/archives/diary/2009/05/28_1263.html
https://www.yamamoto-hiroshi.net/archives/2009/06/02/
https://www.yamamoto-hiroshi.net/archives/diary/2008/03/27_717.html
徳島の時局後援会が夜、開催されたが、原爆被爆者救済や難病支援に取組む公明党の活動について報告をさせていただく。白浜副代表・石田四国議長と共に衆議院選挙大勝利の出陣となる集いとなった。
【原爆症認定とは】
被爆者援護法に基づく制度。病気と原爆放射線との関連や治療の必要性が認められれば、医療特別手当(月額13万7千円)が支給される。
審査は厚労省の被爆者委員会があたる。
当時の基準は推定被爆線量に年齢などを加味する「原因確率」を根拠にしていたが、約1%に満たない2000人位しか原爆症の認定がされていなかった。
私も参加して進めた与党原爆症対策PTの活動により、2008年4月より新基準となりがんなどの5つの病気を積極認定し、他の病気は個別判断で総合認定している。6月には再緩和され肝臓と甲状腺の病気が積極認定に加わった。現在認定者は5400人に倍増している。