夜18時から「ハンセン病隔離の100年を問う・東京集会」が九段会館にて開催された。主催は全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)。
大島青松園など5施設が100年を迎え、今や現在13の療養所では2500人に減少。平均年齢80歳を超えた。苦難に満ちた100年。
官民一体となった「無らい県運動」でふるさとから一方的に拉致され、不条理な人生を送った人達が受けた被害は、様々な形で続いている。
日本国憲法は国のハンセン病対策に対し、何の役割も果たさなかった。隔離100年の総括の場としての東京集会となった。
一部は全療協の宮原会長の挨拶の後、衆参両議長・厚労大臣など来賓からの挨拶。二部はハンセンの詩のコーラス・三部はシンポジウムと続いた。
コーラスは群馬・いのちの証合唱団。「いのちの証 うばったのは誰」「母の歴史より」「別れきて」などハンセン詩人・歌人によって創られ歌われている。魂の心の叫びである。鉛のように命に重く響く。
開始前には、大島青松園などハンセン療養所に勤める方たちにもお会いし懇談する。
本日は午後の国会事務所には、大島青松園森会長と大阪の弁護士の方々が来訪。大島青松園将来構想の四国の議員懇談会設立などの支援要望を伺った。
「真の人間回復、療養所の社会復帰、差別の連鎖を絶つ事がわれわれの最後の望み」との声をしっかりと受け止め、人間として誠実にかかわってまいりたい。