1つはサッカー・ワールドカップでカメルーンを破った愛媛県出身の長友選手。左サイドのバックで先発。世界有数のストライカーといわれるエトー選手を抑え込んだ。恩師に教えられた通り、走って走って走りまくった1戦。
西条市でサッカー部顧問だった恩師(現中学教諭)の激励・情熱からまじめに練習に取り組むようになり「自分にはサッカーの才能はないけど、努力する才能はある」そう思うようになったという。
2つは同じく読売新聞の記事に掲載された権威ある短歌の賞・第44回迢空(ちょうくう)賞を受賞された坂井修一さん。
愛媛県松山市出身。東大教授でコンピューターシステム研究者でもある。海外など多忙な勤務に追われ「何回かやめようと思った」が心のうちを31文字に詠むことが支えとなった。重みのある言葉である。