午前中、尾熊県議、米津広島市議と共に、日赤原爆病院を慰問に訪れる。


皆の願い


日赤原爆病院


広島赤十字・原爆病院は、広島市中区の医療機関で、日本赤十字社が運営する病院である。
原爆に被災し、被爆後の医療拠点の一つとなったという歴史的経緯から原爆医療部門を持ち、原爆症(放射線障害)治療に対してのノウハウを多く持っている。


歓迎の垂れ幕


石田院長、加世田副院長と


意見交換


石田院長・加世田副院長から病院の概要や被ばく患者さんの現況を伺う。


患者の方々との懇談


治療を受けている被爆者は入院患者は、1日平均100名。平均年齢78.3歳。疾病の多くは消化器系のがんや悪性リンパ腫など。

通院の外来患者は約280名おられるが、その多くは「原爆のことについてはあまり触れたくない。話したくない」といわれるそうです。想像を絶する心のダメージを受け、そのトラウマがあるにもかかわらず、被爆者自身で克服されてきている現実がある。

院長からは、平均在院日数が17.4日の状況など、医療の後の介護が問題との指摘。原爆養護ホーム(現在500名)の待機待ちなど改善が必要。


慰問での挨拶


挨拶2


入院患者の方々を慰問


その後、入院患者の方々を慰問。14歳の女学生で被ばくされた方等当時の状況を話していただく。

あらためて原爆の悲惨さと平和の尊さを痛感。核兵器のない平和の世界を目指しての取組みを決意する。

【原爆のむごさを後世に伝えるモニュメント】

昭和14年(1939年)日本赤十字広島支部病院として開院。
昭和20年原爆投下された広島市は人口35万人。木造建物はほとんど爆風で焼失。20年12月末までに約14万人が死亡したと推定されている。


原爆のむごさを後世に伝えるモニュメント


現在原爆のむごさを後世に伝えるモニュメントとして、歪んだ窓枠の一部を病院入口に保存されている。


無数の傷跡の壁


また窓ガラスは原子爆弾の爆風によって、破砕・飛散し、1階から屋上までの壁に無数の傷跡を残した。窓枠と共に保存されている。