<これまでの活動記録>
きょう8月6日、被爆地ヒロシマは67年目の「原爆の日」を迎えた。これに先立ち、公明党広島県本部(斉藤鉄夫代表=衆院議員)の「HIROSHIMA平和創出委員会」(栗原俊二委員長=県議)は7月31日、今年で40回目となった被爆者への慰問、原爆慰霊碑への献花など「核時代・被爆67年 HIROSHIMA平和創出行動」を実施。核兵器のない世界の構築に向けて決意を新たにした。
被爆67年 党広島県本部が平和創出行動
公明党広島県本部が被爆者慰問と原爆慰霊碑への献花を始めたのは1973年。さらに、81年からは毎年、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴える「広島平和市民集会」を開催してきた。
2003年には、県本部内に「HIROSHIMA平和創出委員会」を設置し、それまでの被爆者慰問、原爆慰霊碑への献花に加え、平和市民集会を発展させた「平和創出大会」の三つを「HIROSHIMA平和創出行動」として展開。今年で10回目を数える。
この日、公明党の山本博司参院議員と同県本部の議員は、被爆者が入院する広島赤十字・原爆病院(石田照佳院長)と、被爆者593人が入所する原爆養護ホーム4施設(神田山やすらぎ園、矢野おりづる園、舟入むつみ園、倉掛のぞみ園)を慰問し、被爆者を見舞った。
広島赤十字・原爆病院を慰問した山本氏が「いつまでもお元気で長生きしてください」と温かく声を掛けると、普喜恵身子さん(80)は「原爆で亡くなった女学校時代の友達の分まで生きていきます」と笑顔で応えていた。
続いて一行は、広島市の平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑と韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花。哀悼の意を表し、恒久平和を誓った。
被爆者が体験語る
「あんな、むごいものはいらない」
同日夜には、広島市の広島平和記念資料館(原爆資料館)で、平和創出大会を開催。
大会では、野々山茂さん(82)が自らの被爆体験を語り、「地球上の誰の上にも、あんな、むごいものを落としてはいけない。あんなむごい目に遭わせてはいけない。人類に原爆はいらないのです」と訴えた。
また、広島大学大学院の横藤田誠教授は、「核兵器違法化による核廃絶への道」と題した講演を行い、「核兵器は絶対悪との思想を世界に広げることが大事」と述べた上で、核兵器禁止条約の必要性を強調した。
あいさつに立った山本氏は、「公明党の前身である公明政治連盟は1962年1月、四つの基本政策を発表した。その第一が『核兵器反対』だ。これまでも一貫して取り組んできた核兵器廃絶の実現に向け、公明党は今後も全力を尽くしていく」と力説した。
大会の最後には「『核兵器のない世界』『核ゼロの世界』をめざして全力を尽くす」とする平和宣言が全会一致で採択された。
栗原委員長は、平和創出行動について「党広島県本部の諸先輩が、40年前から連綿と続けてきたヒロシマの『魂』『原点』を確認し合う場として、今後も途切れることなく続けていきたい」と語っていた。
(2012年8月6日付 公明新聞より転載)