世界に誇る偉人・日本の航空機の父、二宮忠八が飛行原理を着想した土地、まんのう町に二宮忠八飛行館がある。
飛行機原理を誰よりも早く着想した二宮忠八は故郷が私と同じ愛媛八幡浜市。
もみの木峠で滑走するカラスを見て飛行原理を発見。その地にある飛行館を初めて見学。
幼少時代の忠八凧や25歳の時のカラス型模型飛行器の飛行実験に成功。さらに27歳の時に改良を重ね、玉虫型飛行器の大模型を完成させた。展示や映像など感動の連続。
「21世紀を担う子供たちに夢を見る力を育む」をテーマにした内容は大変素晴らしい。
【二宮忠八の紹介】
二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日(1866年7月20日)- 昭和11年(1936年)4月8日)は、明治時代の航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身。
陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行うも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。
なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による[。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。