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午前中、広島県尾熊県議・米津広島市議・原広島市議と共に、日本赤十字社 広島赤十字・原爆病院を慰問に訪れました。公明党広島県本部が被爆者慰問と原爆慰霊碑への献花を始めたのは1973年。私の日赤原爆病院慰問は、2012年より3年連続となります。


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意見交換/病院の状況等を伺う

加世田副院長・籠島看護部長・増本事務部長ら病院の経緯、被爆患者の状況など説明を伺い、また病院内の施設やメモリアルパークを視察しました。
広島赤十字・原爆病院は、広島市中区の医療機関で、日本赤十字社が運営する病院です。 原爆に被災し、被爆後の医療拠点の一つとなったという歴史的経緯から原爆医療部門を持ち、原爆症(放射線障害)治療に対してのノウハウを多く持っています。


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皆さんを慰問/慰問で挨拶

治療を受けている被爆者は入院患者は、1日平均100名。平均年齢79.1歳。疾病の多くは肺癌や白血病・悪性リンパ腫など。その後、入院患者の方々を慰問しました。「いつまでもお元気で長生きをしてください。」と声をかけさせていただきました。あらためて原爆の悲惨さと平和の尊さを痛感しました。核兵器のない世界の構築めざし、全力で取組みます。


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メモリアルパーク

メモリアルパーク

メモリアルパークは原子爆弾投下により多くの殉職者を出しながら、献身的に被爆者の救護にあたった職員や看護婦学生の赤十字精神を後世に伝えると共に、殉職者の慰霊と被爆体験の継承を通じて平和を希求する拠点として整備したものです。パーク内にあるレリーフなどは、病院敷地内から移設しました。
昭和14年(1939年)日本赤十字広島支部病院として開院。昭和20年原爆投下された広島市は人口35万人。木造建物はほとんど爆風で焼失。20年12月末までに約14万人が死亡したと推定されています。


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爆風でゆがんだ鉄製の窓枠

爆風でゆがんだ鉄製の窓枠

窓ガラスは原子爆弾の爆風によって、破砕・飛散し、1階から屋上までの壁に無数の傷跡を残した。窓枠と共に保存されています。


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原爆殉職職員慰霊碑/マルセル。ジュノー博士のレリーフ

そのほか、原爆殉職職員慰霊碑、赤十字国際委員会会長(レオポルトーボアシエ)碑文、窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残るカベ等があります。