全国離島振興協議会総会に参加した後、佐渡鉱山高任地区鉱山施設を佐渡市の池町総合政策監らの案内で視察。(23日)公明党の山田のぶゆき佐渡市議も同行。

佐渡金山のシンボルと呼ばれる「道遊(どうゆう)の割戸(われと)」へ。

山頂が真二つに割れている正面の山は、佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」と呼ばれ、江戸時代に金を求めて人力で掘られた採掘跡です。

佐渡金山は1601(慶長6)年、山向うで先に開発されていた「鶴子(つるし)銀山」の山師3人により発見されたと伝えられ、道遊の割戸は、開発当初から採掘がおこなわれた最古の鉱区のひとつです。

割戸の幅は約30m、深さは約74m。山頂は江戸時代の手堀り跡ですが、下部は明治以降、西洋技術を導入して大規模に再開発され。昭和まで採掘が続けられました。

相川市街地西端の春日崎からも遠望できる大規模なこの採掘跡は、江戸時代には相川八景の一つにも数えられ、現在も佐渡金銀山遺跡を象徴する存在として親しまれています。

山田市議と

山田市議と

道遊の割戸(山田市議と)

道遊の割戸(山田市議と)

道遊の割戸

道遊の割戸

道遊の割戸 (山田市議らと)

道遊の割戸 (山田市議らと)