32歳の誕生日を迎えた娘。妻と共に娘の所に行き、大好きなドライブ・買い物・食事など一緒の時間を過ごしました。
秋祭りが台風の為中止となり、いつも娘と共に櫓の廻りを走り回る事はできませんでしたが、満足そうな娘の笑顔も見て安心しました。
娘が重度の障がい児と診断されたのは2歳の時ですから、30年。月日の経つのは早いもので、感無量です。
小さい頃はよそ様の子どもと比べて、普通の子だったらどんなに良かっただろうと何度も思ったものです。しかし、いつの間にか娘を育てるエネルギーが同じような悩みを持つ皆様の支えになったらとの公(おおやけ)のエネルギーに変わっていきました。
娘を通して実にたくさんの友人が出来、そして大切な生涯にわたる人脈を拡大する事ができました。全て意味がある事だと知りました。議員という使命をいただき、なお更、その事を痛感しています。いつの間にか私も妻も強くなりました。
子どもの頃と何一つ変わらないあどけない笑顔を見ながら、今日(こんにち)(こんにち)まで娘に関わって下さった多くの皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。娘の為にも私も妻も健康で、若々しい両親でありたいと思います。
これからもハンディをもった方々とその家族の皆様が少しでも笑顔になれますよう全力で頑張ってまいります。
【議員となり1年目に知的障がいの家族会である「全国手をつなぐ育成会」の機関紙に手記を掲載した内容】
(平成20年4月の手記 手をつなぐ育成会機関紙掲載)
『平凡な事が幸せ 障がいの娘が教えてくれた使命の人生』
https://www.yamamoto-hiroshi.net/wp-content/uploads/2014/11/hibiki0804.pdf