本日12月9日、68 歳の誕生日を迎えました。大勢の方々からお祝いのメールやメッセージをいただき、大変にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
この間大病もせず、元気に活動できる事は私を生んでくれた両親はじめ家族など多くの方々に支えていただいた皆様のお蔭でもあります。朝一番で今も故郷で健在な母親に感謝の電話をかけました。ありがとうございます。
私にとって福祉の原点に戻れる日が12月9日です。この日は「障害者の日」として法律で決められていました。1975年12月9日国連総会で「障害者の権利宣言」が採択され、その日が「障害者の日」として2003年障害者基本法に明記されました。その後、改正され「12月3日~9日」までを「障害者週間」となり「障害者の日」の名称は消えましたが、誕生日が私にとって福祉の原点に戻れる意義深い日でもあります。
本年5月の通常国会では、超党派議連幹事長として取り組んだ「障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法」(議員立法)が成立。
12月の臨時国会では障害者総合支援法・難病医療法等、障がい者・難病の方々支援の4本の法律が明日会期末(10日)で成立の予定です。
また7日には、聴覚障がい者の国際スポーツ大会「デフリンピック東京大会」の成功に向けて超党派の国会議員でつくる「2025デフリンピック大会推進議員連盟」(会長:橋本聖子参院議員)の会長代行に就任しました。
障がいの娘が私の「使命の道」を指し示し、後押しをしてくれています。
私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体(手をつなぐ育成会)の皆様が発刊されている雑誌に手記を掲載を頂きました。
下記ホームページの挨拶文に「平凡なことが幸せ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~」手記を紹介しています。
https://www.yamamoto-hiroshi.net/greeting
いつまでも政治家としての原点を忘れずに、これからも現場を廻りながら、声なき声・小さな声に耳を傾け、一人のために「どこまでも人間主義」の政治を貫いてまいります。皆様大変にありがとうございました。
(写真は娘との写真、11月の本会議質問、高松市での街頭演説、徳島のほっとハウスにて、デフリンピック東京大会議連の記事、)