12月9日 70歳・古稀の誕生日を迎えました。
大勢の方々からお祝いのメールやメッセージをいただき、大変にありがとうございます。
この間大病もせず、元気に活動できる事は私を生んでくれた両親はじめ家族など多くの方々に支えていただいた皆様のお蔭でもあります。心から感謝申し上げます。
母は今年9月、95歳で亡くなり両親はいませんが、傍で見守ってくれていると思います。

私にとって福祉の原点に戻れる日が12月9日です。この日は「障害者の日」として法律で決められていました。1975年12月9日国連総会で「障害者の権利宣言」が採択され、その日が「障害者の日」として2003年障害者基本法に明記されました。その後、改正され「12月3日~9日」までを「障害者週間」となり「障害者の日」の名称は消えましたが、誕生日が私にとって福祉の原点に戻れる意義深い日でもあります。

本年も鳥取県、滋賀県、徳島県、秋田県、東京都など障がい者フォーラム、医療的ケア児・発達障害支援での講演やシンポジウム。
手をつなぐ育成会連合会や難病・日本てんかん協会などの全国大会等など。また全国の離島や中山間地域を廻り、障がい者当事者や家族・支援者の方たちの声を国につなげ、施策を前に進めてきました。

障がいの娘が私の「使命の道」を指し示し、後押しをしてくれています。私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体(手をつなぐ育成会)の皆様が発刊されている雑誌に手記を掲載を頂きました。下記ホームページの挨拶文に「平凡なことが幸せ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~」手記を紹介しています。この手記の思いは今も変わらず、3期17年間歩ませていただいています。

ごあいさつ

【がんなど病気であったとしても働き、活躍できる社会めざして】 ~がんなどの治療と仕事 両立へ~ がん患者の3人に1人は働く世代(20~65歳)で、仕事をもちながら通院し…

党創立者が示していただいた永遠の指針「大衆とともに」との立党精神を忘れず、これからも現場をまわり、声なき声・小さな声に耳を傾け、一人のために「どこまでも人間主義」の政治を貫いてまいります。皆様大変にありがとうございました。

(写真は秋祭りでの娘、医療的ケア児家族会(ケアライン)、発達障害に関する日本とインドネシアとの連携情報交換会、難病フォーラム、徳島市ほっとハウス(障がい者の方々)にて)