参議院 厚生労働委員会 第21号
○山本博司君 公明党の山本博司でございます。
四人の参考人の皆さん、本当に貴重な御意見、ありがとうございました。
私の方で、今の議論になりました部分の、脳死が人の死という部分に関して有賀参考人と木下参考人にお聞きしたいと思いますけれども、今回、参議院での修正で、今までは第二条があったわけでございますけれども、A案で基本的に法律の上で脳死が人の死ということが保障されることになったということで、懸念されることが、治療の現場で治療がストップされるんじゃないかとか、また人工呼吸器が外されるんではないかとか、そういう懸念が、先ほどのお医者さんのアンケートございましたけれども、これがもしこのA案、若しくは二条を外す外さないという問題が、治療の現場で、お医者さんの中でやはりそういったことが懸念があるのではないかという、そういうことが言われておりますけれども、このことに関してお二人から御見解をお聞きしたいと思いますけれども。
○委員長(辻泰弘君) お二人といいますのは。
○山本博司君 木下参考人と有賀さん。医療の現場で携わっている方ということでお聞きしたいと思います。
○委員長(辻泰弘君) 今おっしゃったのは、二条というのは六条二項のことですね。
○山本博司君 はい。
○委員長(辻泰弘君) それじゃ、木下参考人、お願いします。
○参考人(木下勝之君) 現場で脳死判定する、しないという現場には実は私、おりませんので、なかなかそこまでは読み切れませんけれども、一般論から言うならば、現場で臓器提供をというふうなことを前提としたときには、この問題、今、法解釈の上でその条項がなくても、これは臓器提供の上でというふうなことなんだということになる限り、あろうとなかろうと実は関係ないはずなんでありますが、実はそういう問題とは別個に、脳死は人の死だというふうなことのいろんな問題が起こっているというふうなことに関して、現場サイドで余り問題はないとしても社会が納得するかなという問題であるがゆえに、それをクリアするには今までどおりの方がいいのではないかという視点でございます。
したがって、ただもう一つ、現場サイドというならば、先ほどの、法解釈としてはあくまでも臓器提供を前提としているというふうなことになっておりますが、実はそうじゃなくて、やっぱり脳死は人の死だというふうなことの方が、そのような患者さんを診ておられる方たちからすれば、脳死は人の死だと明確にしてしまった方が混乱がないという事実もありますので、ただ、それはあくまでもそうでなくても対応できるはずでありますので、むしろ全体像を考えるときに、そういったふうな解釈というふうなことだけでこの条文を取るということは問題だろうなというふうに考えております。
○参考人(有賀徹君) 多少繰り返しになりますけれども、もし法律そのものが脳死は人の死であるというふうなことを決めたと仮定します。そのときには、では、脳死になった治療のプロセスはなくなるわけですから、例えば人工呼吸器は切らねばならないとか、早速、霊安室に運ばねばならないと、こういう話になるわけです。ですけれども、現実の私たちの景色というのは、治療をしている私たちは、医学的に、かつ生物学的に、さっき言いましたけれども、もう死んでしまったんだというふうな感性を持ちます。しかし、御家族がまだそうはいってもという部分を実は理解しておるんですね。
ですから、そういう意味では、脳死という診断をして、そしてその後、こういうわけなんで、私たちが今まで頑張ってきた、脳を蘇生させようと思ってやってきた手術その他は残念だったなというふうな話を申し上げて理解していただくと。さっきお話ししたように、サイエンティフィックな理解と、その後の気持ちの上での肉親の死を理解することとは多少ギャップがあると。ですから、そういう意味においては、脳死は人の死であるけれども人の死でないという、そのファジーな部分を私たちが現場でそれをやっているということなんです。
ですから、この法律が脳死は人の死であるというふうなことになりますと、死体そのものについてどういうふうにするのか、死んでいる人に対して無理やり人工呼吸器を付け続けるという話にはなりませんので、早速、医療費は出ませんよという、そういう話にもなりかねませんので、私たちの現場から見れば、臓器提供の場面に限って云々かんぬんという法律であるというようなことの方がむしろ、ちょっと妙な言い方ですが、多少安心すると、こういう話であります。
以上です。
○山本博司君 ありがとうございました。